人事労務の現場では、春の入社シーズンや契約更新時期になると、今なお多くの時間が「書類対応」に費やされています。契約書の印刷・製本・封入・投函、返送後の不備確認やファイリングまで、一連の作業は人事担当者の貴重なリソースを大きく消耗させます。
こうした紙中心の業務フローは、リモートワークが前提となった現代の働き方と明確に乖離しており、業務のスピードや柔軟性を阻害する要因となっています。
雇用契約書の電子化は、単なる効率化施策ではありません。ガバナンス強化や従業員体験(EX)の向上を通じて、優秀な人材を惹きつけ、定着させるための重要な経営戦略へと位置づけられています。
本記事では、雇用契約書電子化に関する法制度の変遷から、2024年の最新法改正への対応、主要な国内サービスの比較までを分かりやすく解説します。
目次
なぜ今、雇用契約書の電子化が可能になったのか
多くの人事担当者が抱く「雇用契約書を電子化しても法的に問題ないのか?」という疑念を払拭するためには、関連法規の歴史的経緯と現状を正確に理解する必要があります。
「労働条件通知書 電子化」の解禁と条件
かつて、労働基準法第15条に基づく「労働条件の明示」は、書面(紙)の交付が絶対的な義務でした。たとえ雇用契約書自体を電子化できたとしても、労働条件通知書を紙で渡さなければならないのであれば、結局プロセスは二度手間となり、電子化のメリットは半減していました。
しかし、2019年(平成31年)4月1日、労働基準法施行規則が改正され、以下の要件を満たす場合に限り、FAXや電子メール、SNS等の「電磁的方法」による明示が認められるようになりました。
出典:「労働基準法施行規則」改正(厚生労働省 2019年4月)
- 労働者の希望(同意)があること:会社が一方的に電子化を強要することはできません。
- 受信者を特定して情報を伝達すること:個人のメールアドレスやID宛に送付する必要があります。
- 出力して書面を作成できること:労働者が受け取ったデータを印刷し、書面として保管できる状態でなければなりません。
この改正により、「労働条件通知書 兼 雇用契約書」という実務上最も一般的な形式の書類を、完全に電子化する道が開かれました。
電子帳簿保存法への適合
電子化された契約書は、税務上の「国税関係書類」に該当する場合があるため(例えば、通勤手当に関する記述等は給与計算の根拠となる)、電子帳簿保存法(電帳法)の要件も満たす必要があります。特に「電子取引」区分における保存要件は厳格です。
| 要件 | 内容 | 対応策の例 |
|---|---|---|
| 真実性の確認 | 改ざんされていないことを証明できること。 | タイムスタンプの付与、訂正削除履歴が残るシステムの利用、または「正当な理由がない訂正削除を禁止する事務処理規定」の備え付け。 |
| 可視性の確保 | 速やかに画面や書面に出力できること。 | データを保存しているサーバーやPCに、ディスプレイとプリンタを備え付ける。 |
| 検索性の確保 | 「日付」「金額」「取引先(従業員名)」で検索できること。 | 専用システムであれば標準対応。自前運用の場合は、ファイル名規則の徹底と索引簿の作成が必要。 |
これらの要件を自社のファイルサーバーだけで満たそうとすると管理コストが肥大化するため、JIIMA認証を受けた電子契約サービスや人事労務システムの利用が推奨されます。
雇用契約書に印紙は不要?電子化と印紙税法の関係
コスト削減の最大の目玉である印紙税ですが、その法的根拠は印紙税法の解釈にあります。印紙税は「文書」を作成した場合に課税されますが、国税庁の見解および国会答弁等により、「電磁的記録」は「文書」に該当しないとされています。
したがって、雇用契約書のみならず、身元保証書や誓約書、あるいは業務委託契約書などを電子データとして締結する場合、印紙税は一切かかりません。
詳細は『【2026年対応】業務委託契約書の印紙を不要にするには?金額一覧と「請負・委任」の区分判定、電子契約の導入メリット』をご覧ください。
「労働条件明示ルール変更」と電子契約への移行
2024年4月1日から施行された改正労働基準法施行規則は、雇用契約書の電子化を加速させる強力なドライバーとなります。新たに追加された明示事項は以下の通りです。
出典:「労働基準法施行規則」改正 (厚生労働省 2024年4月)
- 就業場所・業務の変更の範囲
- 雇い入れ直後の場所・業務だけでなく、「将来的に配置転換の可能性がある範囲」を明示しなければなりません。(例:「会社の定める全拠点」「会社の定める全業務」など)
- 更新上限の有無と内容
- 有期契約労働者に対し、通算契約期間や更新回数の上限を明示する必要があります。
- 無期転換申込機会の明示
- 無期転換ルール(通算5年超)の対象となる契約更新時に、その旨と転換後の条件を明示する必要があります。
紙運用のリスクと電子契約システムによるテンプレート管理
これらの変更を紙の運用で対応しようとすると、既存のWordテンプレートをすべて修正し、従業員ごとに異なる条件(有期か無期か、更新上限はあるか、転勤はあるか)を手作業で入力・確認する必要があります。これはヒューマンエラーの温床です。特に「無期転換申込機会」の明示漏れは、労使トラブルに直結します。
電子契約システムや人事労務システム(SmartHR、freee人事労務等)では、これらの法改正に対応したテンプレートが提供されており、従業員データベースの情報に基づいて、必要な条項を自動的に挿入・出し分けすることが可能です。法改正対応の工数を最小化し、コンプライアンスリスクを低減するためには、システムの力を借りることが最も合理的です。
雇用契約書電子化のメリット:コスト削減と業務効率化
経営層への決裁を仰ぐ際、単に「楽になります」では説得力がありません。具体的なメリットを数字とロジックで示す必要があります。
コスト削減の試算(ROI)
従業員数300名、年間入社・更新数100件の企業を想定した場合の削減効果を試算します。
| 項目 | 紙運用の年間コスト | 電子化の年間コスト | 削減効果 |
|---|---|---|---|
| 印紙代 | 0円(雇用契約は非課税だが、身元保証書等で200円×100件=20,000円発生する場合あり) | 0円 | ▲20,000円 |
| 郵送費 | 往復切手代(84円×2×100件)+封筒代 = 約20,000円 | 0円 | ▲20,000円 |
| 印刷・用紙代 | 約5,000円 | 0円 | ▲5,000円 |
| 人件費 (作業工数) | 1件あたり30分(作成・封入・管理)×100件×時給2,000円 = 100,000円 | 1件あたり5分(送信・確認)×100件×時給2,000円 = 16,666円 | ▲83,334円 |
| 合計 | 約145,000円 | 約16,666円(+システム利用料) | 大幅削減 |
これに加え、書類の保管スペース(キャビネット代、倉庫代)の削減や、書類検索にかかる時間の削減といった「見えないコスト」の削減効果も甚大です。
採用競争力の向上とリードタイム短縮
売り手市場の現在、内定から契約締結までのスピードは、内定辞退を防ぐ重要な要素です。紙の場合、郵送の往復で最低でも3〜5日、相手が多忙で受け取れなければ1週間以上かかります。
電子契約であれば、面接合格の直後にスマートフォンへ契約書を送信し、その場で合意を得ることも可能です。「手続きがスムーズで先進的な会社である」という印象付けは、特にデジタルネイティブ世代の採用においてポジティブに働きます。
コンプライアンスとガバナンスの強化
紙の契約書における最大のリスクは「紛失」と「更新漏れ」です。誰が持ち出したかわからない、どのキャビネットにあるかわからないといった状況は、個人情報保護の観点から致命的です。
電子契約システムでは、閲覧権限を厳密に管理でき、アクセスログも残ります。また、契約終了日が近づくと自動的にアラートメールを飛ばす機能(リマインド機能)を活用すれば、意図しない契約終了や無契約状態での労働といった重大なコンプライアンス違反を未然に防ぐことができます。
雇用契約書電子化のデメリットと拒否された場合の対策
電子化にはメリットが多い一方で、実務上の課題も存在します。特に頭を悩ませるのが「同意しない従業員」への対応と「過去の書類」の扱いです。
従業員の同意取得とリテラシー格差
前述の通り、電子化には従業員の同意が必須です。特にITリテラシーが高くない層や、個人のメールアドレスを持っていないパート・アルバイトスタッフへの導入は慎重に進める必要があります。
対策:
- 丁寧な事前説明:
- 全社集会や説明資料を用い、「会社側の都合」だけでなく「いつでもスマホで自分の時給や労働条件を確認できる」「ハンコを用意する必要がない」という従業員側のメリットを強調します。
- サポート体制:
- 操作マニュアルを動画で用意したり、導入初期は人事担当者が対面で操作をサポートする窓口を設けたりします。
拒否者への対応:ハイブリッド運用の設計
どうしても電子化に同意しない、あるいはデバイスを持っていない従業員に対しては、従来通り紙で交付する必要があります。この際、「電子契約のデータ」と「紙の契約書」が混在することになります。
管理のポイント:
- 一元管理の仕組みを作る:
- 紙で締結した契約書も、受領後にPDFスキャンし、電子契約システム上の「書類インポート機能」を使ってアップロードします。これにより、原本は紙であっても、検索や期限管理はシステム上で統一して行うことができます。
- 台帳の整備:
- Excelや人事システム上で「契約形態区分(電子/紙)」というフラグを立て、どちらの形式で原本を保管しているかを管理します。
おすすめの雇用契約書電子化サービス・システム
雇用契約書の電子化を実現するツールは、大きく分けて「人事労務統合型」と「契約特化型」の2種類に分類されます。自社の課題に合わせて最適なものを選びましょう。
人事労務統合型
入社手続きや給与計算システムの中に、電子契約機能が組み込まれているタイプです。
SmartHR(スマートエイチアール)

- 特徴:「入社手続き」と「雇用契約」がシームレスに連携しています。内定者がスマホで入力した氏名や住所情報がそのまま契約書に反映されるため、人事担当者の転記作業がゼロになります。
- メリット:契約締結後、そのまま社会保険・雇用保険の手続き(電子申請)へとスムーズに移行できます。従業員にとっても、スマホで質問に答えるようなUIで手続きが完了するため、体験が良いのが特徴です。
freee人事労務

- 特徴:「freeeサイン」との連携により、人事労務画面上で契約書の作成から送信・締結まで完結します。給与計算システムと一体化しているため、契約情報(基本給や手当など)が給与計算に自動反映され、毎月の給与計算ミスを防げます。
- メリット:会計ソフトや経費精算との連携も強く、バックオフィス全体の効率化を目指す企業に適しています。
契約特化型
雇用契約だけでなく、取引先との秘密保持契約(NDA)や業務委託契約など、全社的な契約業務に利用できるタイプです。
CloudSign(クラウドサイン)

- 特徴:国内シェアNo.1を誇る電子契約サービスです。日本の法律・商習慣に特化しており、弁護士監修の元で設計されているため、法的安定性に定評があります。
- メリット:知名度が高いため、従業員や取引先が既にアカウントを持っているケースも多く、導入の心理的ハードルが低いです。API連携を使えば、主要な人事システムと連携することも可能です。
GMOサイン(旧:GMO電子印鑑Agree)

- 特徴:コストパフォーマンスに優れており、大量の契約書を送信する場合でもコストを抑えられます。「立会人型」と「当事者型」の両方の署名タイプに対応しており、重要度に応じた使い分けが可能です。
- メリット:月額費用や送信料が比較的安価に設定されており、コスト重視の企業におすすめです。
失敗しない導入プロセス:5つのステップ
システム導入を成功させるための具体的なロードマップを示します。
Step 1: 現状フローの可視化と課題抽出
現在の業務フローを詳細に書き出します。「誰が作成し」「誰が承認し」「どのタイミングで発送し」「どこに保管しているか」。その中で、ボトルネックになっている箇所(例:承認者の出張でハンコが止まる、など)を特定します。
Step 2: システム選定
自社の課題に合ったツールを選定します。
- 人事データ連携重視:
- SmartHRやfreee人事労務。従業員マスタと連動し、入社手続きの一環として契約締結ができるため、転記作業がゼロになります。
- 契約全般の汎用性重視:
- CloudSign(クラウドサイン)やGMOサイン。雇用契約だけでなく、取引先との秘密保持契約(NDA)や業務委託契約など、全社的な契約業務を統一したい場合に適しています。
- コスト重視:
- BtoBプラットフォーム契約書など。既存の取引基盤を活用し、低コストで導入可能です。
Step 3: 社内ルールの策定と従業員説明
電子署名取扱規定や文書管理規定を改定します。同時に、従業員から「電磁的方法による交付への同意書」を取得します。この同意書自体も電子的に取得することが可能です(メールでの返信や、システム上のチェックボックス等)。
Step 4: スモールスタート(テスト運用)
いきなり全社一斉導入はリスクが高いです。まずは「中途採用者」や「特定の部署(IT部門など)」に対象を絞って運用を開始します。そこで発生したトラブル(メールが届かない、操作がわからない等)を洗い出し、マニュアルを修正します。
Step 5: 本格稼働と過去分への対応
新入社員と契約更新者から順次、完全電子化へ移行します。過去に締結した紙の契約書については、無理にすべて電子化する必要はありません。法的な保存期間を考慮し、直近の有効な契約書のみをPDF化してシステムに取り込み、古いものは箱詰めして外部倉庫等で保管期限まで管理するのがコスト効率の良い方法です。
よくある質問(FAQ)
Q1. アルバイトやパートも電子化できますか?
A. はい、可能です。 むしろ推奨されます。入退社頻度が高く、人数が多いアルバイト・パート領域こそ、電子化による工数削減効果が最大化されます。スマートフォンを持っている層であれば、LINEやメールで通知を受け取り、数タップで完了できるため、郵送よりも回収率が高まる傾向にあります。
Q2. システム上で「タイムスタンプ」は必須ですか?
A. 電子帳簿保存法対応の観点からは必須級です。 タイムスタンプは「その時刻にその文書が存在していたこと」と「それ以降改ざんされていないこと」を証明する技術です。多くの電子契約サービスでは標準付帯されていますが、自前でPDFをメール送付する運用の場合、タイムスタンプが付与されないため、改ざん防止規定の整備など代替措置が必要となり、管理が煩雑になります。
Q3. 労働条件通知書だけをメールで送るのはアリですか?
A. 可能ですが、推奨されません。 労働条件通知書(通知)のみをメールで送り、雇用契約書(合意)を作成しない運用も法的には可能ですが、「言った言わない」のトラブルリスクが残ります。また、契約書だけを紙で残すと管理が二重になります。現在は「労働条件通知書 兼 雇用契約書」として一本化し、それを電子締結する運用がベストプラクティスです。
Q4. 電子契約の場合、ハンコ(印鑑)の押印は必要ですか?
A. いいえ、不要です。 電子契約では、従来の物理的なハンコの代わりに「電子署名」を用いて合意の証拠とします。契約書内の条文(後文)も「記名押印」から「電子署名を施す」といった文言に変更するのが一般的です。ハンコのために出社する必要がなくなり、業務が大幅に効率化されます。
Q5. すでに紙で締結している過去の契約書も電子化すべきですか?
A. 無理にすべて電子化(巻き直し)する必要はありません。 過去の契約書はそのまま紙で保管するか、PDF化してシステムに取り込んで管理するのが現実的です。契約更新のタイミングで順次電子契約へ切り替えていく方法が、最も現場負担が少なくスムーズです。
まとめ:人事部門のDXはここから始まる
雇用契約書の電子化は、人事部門にとっての「DX一丁目一番地」です。ここをデジタル化することで、従業員情報の入り口がデータ化され、その後の給与計算、社会保険手続き、タレントマネジメントへとデータがシームレスに流れる基盤が整います。
「紙をなくすこと」がゴールではありません。「付加価値のない事務作業」をなくし、人事担当者が本来取り組むべき「従業員との対話」や「組織開発」に時間を使えるようにすることこそが、真の目的です。2024年の法改正を好機と捉え、ぜひ勇気を持って電子化への一歩を踏み出してください。
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マネックス証券 フィナンシャル・インテリジェンス部 暗号資産アナリスト
松嶋真倫
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